当時の殿様、蜂須賀蓬庵公は小松島に中田館でお住まいでした。「その観音様を私が・・・」と館の隣に法輪寺というお寺を建てお奉りしました。ところがある夜、 蓬庵公の夢に観音様がでてきて、「私は中津峰山の観音じゃ、早くお山に帰りたい」ともうされました。次の日、不思議に思った蓬庵公は、法輪寺の住職に相談に行きました。するとどうでしょう。法輪寺の住職もまた、同じ夢を見ていたのでした。

 

そこで、蓬庵公を筆頭に人々はこぞって当山に観音様をお返し申し上げ、お寺を造営し現在に至ります。このお観音様が、当山のの本尊の重要文化財の如意輪観音様です。衆生に財宝を与え煩悩を除く仏様が如意輪観音様です。 弘法大師様の「御招来目録」にも記載されています。また、お弟子さんの一人実慧大徳が、大師ご在世中建立してお大師さまに献上しています。お大師さま自身も自作の如意輪観音を安置し、常に念誦されていました。 また、実慧大徳の開かれた河内の観心寺の本尊様・国宝、如意輪観音様は中学の教科書に掲っています。

 さらに真言宗の僧侶になるための行には、如意輪観音様を拝む修法をしなければなりません。このように如意輪観音様はお大師さま以来僧俗問わず、多くの信仰をあつめた仏様であります。  お姿は一面六臂(お顔が一面お手が六本)です。まず、右の第一の御手は思惟、考えるということです。利他の行をなされている観音様はじめ菩薩様は我々と違って、人々をいかに済度するかということを考えられます。第二の御手は如意宝珠を持っておられます。 この珠は慈悲のお力が意の如く湧き出てくる珠、財宝をもお与えくださる珠です。 第三は念珠を持っておられ、百八の数珠は煩悩を顕します。我々の持つ煩悩をもとに済度の方法を探っておられます。左の第一の御手は山を押さえておられ、不変なる山は観音様のご誓願が永遠なることを顕します。第二の御手は蓮の華を持たれ、泥沼のなかから芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶ蓮のように我々の住む泥沼に似た世間を浄化させるという願いを顕します。第三は上を指さし、法輪を意味します。別名輪宝というこの輪は周りに刃がついた武器です。観音様に武器とは不思議ですが己の煩悩を断ち切るための武器です。また、お身体は肌色、右膝を立てリラックスした座り方をされ、くつろいだ雰囲気のなかで、六臂とお顔の微笑みをもって我々を包み込んでくださいます。