第199号
テレビに臨時ニュ−スのテロップが流れた。神戸の小学生殺人事件の犯人が捕まったという。私はこの事件の新聞もテレビも充分見ていなかった。あまりにも残忍なので見る気がしなかったからである。初めての驚きは犯人が少年だということである。新聞社に送られた声明文が紹介された、実在と実存を勘違いした私は犯人は高校二、三年生と決めてしまった。というのも教師の時代こんな文と絵を書くのがいて漫画家にさせた経験があったからだ。しばらくしてそれが中学生という。二度目の驚きである。それでも中学生の文とは思えない。私は文章とは自分で創作するものと思っている。あたりまえのことであるが、他人の文章を引っ付けると本人不在の文章ができあがることを改めて知らされた。
三度目の驚きは先の二つと意を異にする。マスコミの青年心理、法規に関する知識のなさである。彼らは若いとき『アンネの日記』など読んだ経験がないのであろうか。話しかけるような文体、虚偽性、自問自答等々青年心理の種々相がでてくるこの日記を応用すれば先般報道された論評はでてくるまい。また、少年法は法学者は青少年の健全育成をめざすとするが、私などの門外漢は「悪を犯した」という接頭語がつくと思っている。悪を犯した少年を裁判(審判)にかける法律といっても過言でない。因みに青少年健全育成法という法律は日本にない。
かかるの前提をもとに次の批判は「その道の権威者」なる学者、評論家へ先述の軽薄なマスコミ人が質問する。罪を犯させた社会思潮、受験制度、学校等々原因はいかにとやるわけである。学者先生も本質を忘れたかのようである。要は異常な犯罪は本人が異常だから成し得るのである。要は本人に一番問題がある。次に強いて言うなら少年である限り親に問題があるはずだ。基本をここにすえないと大きくはずれてくる。学校、地域社会に問題をすり替えてはならぬ。
しかる後、二度とこんな事件を起こさせないためにあらゆる学者が結集して原因を探り、対処する方法を導くのが筋だ。この度のマスコミの扱いはそれが逆になっているように思えてならない。オ−ムの時は宗教学系なるが故に学者先生の質があらかじめ分かっていたが、この度はそれが分からないからよけいイライラしてならない。
チベット旅行からちょうど一年が経った。月日の過客は早い。しかし、今でも昨日のように脳裏に染みついている。大阪からほぼ西へ進んだ旅だった。私にとっては上海、成都も勿論初めてであった。帰路成都はちょうどお昼、四川料理もさることながら、立派な空港である。ここから第二次大戦にはB二九で日本爆撃が行われたという。帰っていろいろな人の聞いてみた。中島航空機にいた先生一人が「成都から攻撃しようと空港整備をした。そして九州に数度やってきたところで太平洋の島々を米軍が占領したので実際はあまりつかわれなかった」「なぜ」「そりゃあんな奥地で補給ができるか」「なるほど」と教えてくれた。人口九百万の三国志の時代からつづくこの大都市、往きにロシア人作り戦時中、米軍が接収していたホテルに泊まった。そこが町の中心部というが大きなビルも公共交通機関も見あたらない。不思議な田舎都市である。軍事的には昔から要衝らしく中国とベトナム或いはチベットを経てインドとの戦争の時はここから補給が行われたという。四川省にはさらに大きな工業都市重慶があり高速道路で二時間半、四川省の人口は一億二千万人ほど日本と同じという。日本軍は重慶まで爆撃の手を伸ばした。ただし、他の都市と違ってここは爆撃しても補給の関係で占領できない。結果、一番悲惨な絨毯爆撃をしたという。
現地ツアコンの胡さんに「日本と同じ人口であらゆるものがとれる。この地方を四川国として独立させて君が大統領になれ」「ム−」「こんな広い中国がなぜチベットが必要なのか」「黄河も揚子江もチベットを源流としている。だから、川上を確保しておかねばならぬ」なら、オビ、レナ下流ロシア。ガンジス、ブラマプトラ、インダス河の下流インド、ハングラデシュ、パキスタンも領有主張をしても良いではないかといかけて止めた。すでに歴史上やっていたからである。
第二次大戦でチベット王国はタイ国とともに日本に敵対しなかった国である。地理的、社会的距離から救援はむずかしい。これから、もし中国に問題が起きるとするなら、台湾、チベット、ウイグル等々火種は多い。
先月号の香港論の後、「文芸春秋」に安能務氏の「中国四千年史の中の『香港(シャンカン)収回』」が掲載された中国史、中国語をおさえての名論文であった。浅薄な知識でひやかした筆者の厚顔さに恥じ入った次第である。
次回は二百号の特別号としたいと思います。投稿をよろしくお願い申し上げます。